三国嶽の麓の里に、暮六つの鐘きこゆ。-幕を開く。
萩原晃この時白髪のつくり、鐘楼の上に立ちて夕陽を望みつつあり。鐘楼は柱に蔦からまり、高き石段に苔蒸し、棟には草生ゆ。晃やがて徐に段を下りて、清水に米を磨ぐお百合の背後に行く。
晃 水は、美しい。何度見ても・・・・・・美しいな。
百合 ええ。
その水の岸に菖蒲あり二、三輪小さな花咲く。
晃 綺麗な水だよ。(微笑む。)
百合 (白髪の鬢に手を当てて)でも、白いのでございますもの。
晃 そりゃ、米を磨いでいるからさ。・・・・・・(框の縁に腰を掛く)お勝手働き御苦労、せっかくのお手を水仕事で台なしは恐多い、些とお手伝いと行こうかな。
百合 可うございますよ。
晃 否・・・・・・お手伝いという処だが、お百合さんのそうした処は、咲残った菖蒲を透いて、水に影が映したようでなお綺麗だ。
夜叉ヶ池 泉 鏡花 作
冒頭より抜粋
美しい文体に魅せられてしまった。
ルビ付で此処に記せないのが心惜しい。
この妖しくも美しい戯曲は大正時代に書かれている。
品格を感じさせる鏡花の世界。